2010年入社
2010年4月入社。店舗後方支援担当を経て、2014年に店舗開発担当に就任。全国の直営店の出退店に関わる、調査・交渉を担う。
2016年、岩手博覧会PJリーダーを経験した後、店舗開発兼地域活性ディレクターを兼任。
2019年11月1日。中川政七商店としては過去最大となる130坪の旗艦店、「中川政七商店 渋谷店」が無事にオープンしました。これまでは最大で50坪程度だったことを考えると、その大きさは2倍以上。
当然、社内からは不安や心配の声はありましたが、渋谷スクランブルスクエアという新しい商業施設ができるとわかってから、店舗開発担当として、何年も慎重に交渉を進めてきた案件。全社をあげてチャレンジするような店舗づくりの入口部分に携われていることは、とても嬉しいことです。
中川政七商店はコンサルティングや教育事業も行っていますが、やはり、お客様に支持されるお店をつくることができるかどうかが、会社としての生命線だと思っています。計画通りに行くことばかりでもなく、店舗開発担当として難しい判断をしないといけないこともありますが、だからこそ醍醐味がある。
一方で、店舗というのは、メーカーさんにとっての出口でもあります。苦労して仕上がったものづくりが、無事にお客様に届くためには、中川政七商店の店舗がきちんと開かれている必要がある。メーカーさんとお客様との接点をつなぎ続けるためにも、責任を持って店舗開発を担っていかなければいけないと考えています。
店舗開発の仕事を中心としながらも、地域活性ディレクターという肩書きも持っていますが、そのきっかけになったのは2016年のこと。中川政七商店の創業300周年を記念して、社員の家族を招いた会社見学や、300周年の記念商品の企画など、幾つものプロジェクトが社内公募されました。
その中で、「300 周年のお祭りをしましょう」というものも。全国各地で、地元の工芸を盛り上げるイベントを企画・実行するリーダーの募集でしたが、見た瞬間、「面白そう、やってみよう」と手を挙げたんです。
最終的に、岩手・新潟・東京・奈良・⾧崎という5都市でイベントをすることになり、僕は岩手の担当に。実は、5都市の中でも岩手は難しいエリアだったんです。というのも新潟の三条には、コンサルティング先として⾧いお付き合いのある、包丁メーカーのタダフサさんが、そして同じく⾧崎には、波佐見焼のマルヒロさんがいらっしゃる。東京には店舗があるし、奈良は本社のある場所です。
でも、岩手だけは縁がなかったんです。つくり手さんもいなければ、店舗もない。イベントの1年ほど前からリサーチをはじめて、開催地域や会場を決めていくのですが、本当につてがないので、まず役場に行くことからスタートしたほどです。
「突然東京から来た若者が、何か一緒にイベントしましょう」と言っても、警戒されるだけ。まず知り合う、仲良くなることが大切だと考えました。仕事の話は一旦置いて、地元の人たちと夜飲みに行ったりする中で、「じゃあ今度一緒にやりませんか?」という小さな約束をしていったんです。
別に戦略的に飲みに行ったわけでもなくて、後から気づいたことですが、僕はお酒の席が好きだし、人が好き。固苦しい場よりも、膝を突き合わせて話したりする方が向いてるんだと思いました。
「盛岡でイベントをしたいと思ってる」「つくり手さんの知り合いがいない」と、自分のやりたいことや困っていることを話す内に、「あの人がいいんじゃない?」とか「紹介できる人いるよ」と、数珠繋ぎみたいに人を紹介してもらって。
地元でマルシェをやっている人やデザイナーさん、編集者さんにDJ に職人さん、地元の銀行マンの方も。気づけば、もうこの皆で何でもできるんじゃないかというくらい、仲間が集まりました。
工芸って、地元ではあまりにも当たり前で、意外とその良さを若い人が知らないこともあるんです。これは岩手に限らずですが、存在が身近すぎて評価されないという状況があります。だからこそ、「岩手の人に岩手のものづくりを知ってもらう」をコンセプトにしました。
ものを紹介して売るだけだったら、そのよさは伝わらない。誰かにそのよさを語ってもらうトークショーや、漆器であれば実際に手にとって使っていただけるレストラン、ものづくりをテーマにした落語も…などなど。知り合う人が増えた分、アイデアも膨らんでいきました。
僕の本業は店舗開発の仕事で、イベントリーダーの役割はプラスのかかわりです。つまり、基本的には仕事終わりに現地に向かうこともあるし、週末の時間を充てることもあるわけですが、数えてみたら1年間で30 日も盛岡に通っていました。その時間の分だけ地元の皆さんとも関係は深くなって、いつしか皆さんが「自分たちのイベント」という思いを持ってくださるように。
でも正直、当日を迎えるまで不安は無くなりませんでした。企画側がどれだけ準備段階で盛り上がっても、当日お客様が入ってくれなければ意味がないですから。イベントがオープンするけれど誰も来ないという夢を、何度見たかわかりません。でも実際、蓋を開けてみたら、もう想像以上にたくさんの人が来てくれたんです。
「今までにないくらい売れた」とか、「こんなにここに人が入ってるのは見たことがない」「岩手にこんな工芸があるなんて知らなかった」という嬉しい声をたくさん聞きました。
無事にオープンした日のこと。オープニングを祝うレセプションの場で、挨拶をさせてもらったんです。お酒も少し入っていい気分で、運営の皆さんの前に立った時、あちらこちらから、「頑張ったなー」「最高だよ!」という声が。もう、胸がいっぱいになりました。今振り返っても、こみ上げるものがあるくらい。
見ず知らずの街に飛び込んで、一人ずつ知り合いができて、仲間になって。そんな仲間たちと大きなイベントを成功させることができた。人生最高の瞬間でした。そしてこの最高の経験は、自分のターニングポイントにもなったんです。
あまりに基本的なことですが、自分で考えて自分で決断して結果を出すということを、イベントを通じてできた。通常の仕事をする上では、間違いがないように上司にアドバイスを求めてきたけれど、イベントは、誰も正解を知らないし、頼ることができない。
だからこそ、プライドも投げ捨てて、「わからない」「助けてください」と言えたし、自分で悩んで考えて、決断を積み重ねていけた。全てを自分の責任として成果を出せたのは、入社6 年目にして初めての経験でした。
岩手の皆さんに成⾧させてもらったからこそ、いつか恩返しがしたい。岩手のことは心の中にいつもあるんです。
そして今まさに、地域活性ディレクターとしての仕事が、奈良で始まったところです。奈良をよくするために、奈良にたくさんの面白いコンテンツを生み出すために。会⾧の中川が提唱する、N.PARK PROJECT に携わっています。
物件を開発したり人材を育成したりすることで、まず奈良に住む人が奈良の街を楽しめるようになれば、きっと外からも奈良に人が来てくれるようになる。めぐりめぐって、奈良の工芸を元気にすることまで見据えています。
街づくりの仕事は、数日で終わるものではなく、20年、30年という⾧い時間の中で実現していくもの。だから僕も、奈良に住まいを移して、奈良とともに過ごしていく人生が、いよいよスタートします。前例のない仕事だから、なぞるお手本もないし、上手くいくかどうかも、正直わからない。でも、奈良の街を元気にすることができれば、他のたくさんの街に、この方法は展開できるかもしれない。もちろん岩手にも。
だからこそ、自ら進んで新しい挑戦をして、力をつけたい。そして何より、どんなことも面白がる気持ちを、これからもずっと大切にし続けたいと思っています。